会長時間 09.4.9

お客様ようこそおいで下さいました。ごゆっくりして下さい。
 本日、卓話をして頂きます、東南ロータリークラブの会員で、株式会社 KIMIJIMA 代表取締役 君島龍輝様、お話を楽しみにしています。 宜しくお願いいたします。
先週、少し触れました「ロータリーの友」の、今週は歩みについてお話しいたします。
1952(昭和27)年4月(私が産まれた1ヶ月前ですので57年前)に開催された第60地区の大会で新しい雑誌をつくることが決まりました。7月に迎える新年度(1952-1953年度)から日本の地区が東日本と西日本の2つに分割されることに決定されましたので、この地区大会は特別なものでした。
 ここでいくつかの問題が話し合われ決められましたが、その中に日本の2地区で共通の雑誌を発行するとの決定がありました。これまで共に活動してきた日本のロータリアンが分割されてからも緊密に連絡を取り合い、情報を共有化するための機関誌として、新しい雑誌が企画されたのです。同年8月16日、岐阜市の長良川河畔にあった大竹旅館での会合において「ロータリーの友」という名前が決められました。
 またこの会合では、新しい雑誌を縦組みにするか横組みにするかで、意見が分かれ、全会員による一般投票を行ったところ、2対1の割合で横組みが採用されることになりました。戦後10年も経っていなかったという時代背景を考えると、この結果は当時のロータリアンがいかに先進的な考えを持っていたかを知ることの出来るエピソードです。
 当初は発行部数が3,300部に過ぎず、戦後の混乱は少し落ち着いていたものの、まだまだ経済的には厳しかったため、広告のスポンサーを見つけることが容易でなく、創刊に携わったロータリアンは自ら走り回り、苦労して広告を取ったという逸話が残っているそうです。その後、1年間の試験期間を経て、国際ロータリー(RI)公式地域雑誌(現 ロータリー地域雑誌)になりました。
 はじめ表紙以外はモノクロだけでしたが、1986(昭和61)年から「ロータリー・アット・ワーク」のトップの取材ページはカラーになり、2003年、印刷の一部の工程を省いて印刷コストを抑え、全ページのカラー化が実現しました。そしてインターネットの利用から2004年1月号から「RI指定記事」が「THE ROTARIAN」と同じ月に掲載出来るようになりました。それと2003年7月1日、「ロータリーの友」ホームページが誕生いたしました。 
以上が「ロータリーの友」の歩みの概要です。それと先週お話ししました横組み、縦組みに分かれた最初の号1972年1月の陣羽織はこんな写真です。
以上で会長時間を終わります。ありがとうございました。

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このページは、広島安佐RCが2010年3月22日 20:37に書いたブログ記事です。

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