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私が商いにおいて師としております松下幸之助さんの『運命を生かす』という講話があります。今日の会長時間はこの講話をそのままお伝えいたします。
私はよく人から、「今日を築いた成功のコツを話せ」とかいわれますが、そういうときは返事に困るのです。そこで「実は自分でもよくわかりません。強いて言えば運命というか、そうなるようになっていたのでしょう。」といった返事にならない返事をするのですが、正直のところ私はそう考えているのです。というのは、私より優れた人は世の中に無数にいます。学問のある人、身体の丈夫な人、素質才能のある人、どれ一つをとってみても、私はずっと下の方だと思うのです。にもかかわらず、今日私が多少とも成功している面があるとするならば、それは自分の運命がそうなっていたのだろうと考えざるを得ませんし、またそう考える方が気が楽だと思うのです。
それを自分が人並み以上に勉強したからこうなったのだとか、こういう特別の努力をしたからだとか思いますと、どこかに無理が生まれ重苦しい感じがしますし、実際そういうものがあったとは思われないからです。
ただこういうことは言えるかもしれません。すなわち、運命というものを自分なりに、あるいは自然のうちに前向きに生かそうと心がけてきたということです。家が貧乏であったがために、小僧奉公に出されて幼いうちから商人としての躾を受け、世の辛酸を多少とも味わうことができた。身体が生来弱かったためにやがて人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。学歴がなかったためにすべての人に常に教えを請うことができた。あるいは九死に一生を得たような何度かの経験を通じて自分の幸運、強運を信ずることができた。そういうふうに自分の運命をいわば積極的に考え、それを知らず識らずのうちに前向きに生かしてきたからこそ一つの道が拓けたのだということも考えられるでしょう。
これは私たちだけでなく、お互い一人ひとりについても同じことが言えるのではないでしょうか。つまり、それぞれが持って生まれたもの、あるいは周囲の環境というものを大事にして、これをできる限り前向きに生かしていくように心がけるということです。そうすれば、自分の運命を自分で拓いていくということにもなるだろうと思うのです。
考えてみれば、運命というものは実に不思議なものだと思います。いま申してきましたように、"運命を開拓する"とでも申しますか、人間の思い一つでどうにでもなるような一面があるかと思えば、人間の思い、人間の力ではどうにもならない一面も確かにあるわけです。たとえば、私ども人間が人間に生まれたことを悔やんで、馬なら馬に生まれたいと言っても、それは全く不可能なことです。男に生まれるか女に生まれるか、日本に生まれるか、フランスに生まれるか、どこの家に生まれるかといったことにしても、あるいはそれぞれがどういう天分、資質を持って生まれてくるかということにしても、どれ一つ自分の思い、自分の意思ではどうすることもできないわけです。これは言ってみれば神の摂理というか、天命というか、そういうものだと思うのです。
以上が松下幸之助さんの講話の一部です。今、私がここに立って話していることも運命なのかも知れませんし、来週、クラブ創立十周年時の会長という大役をさせていただけるのも道であったのかも知れません。前向きに受け止めてやり遂げたいと思っております。重ねて皆様のご支援をお願いいたしまして、会長時間とさせていただきます。ありがとうございました。
